熊本城を訪ねて

2011年03月05日 00:00



熊本市のシンボルである熊本城を訪ねました。実は私にとって既に4回目になりますが 
本丸御殿が復元されて注目を集めていると聞き 再訪問したくなったのです。

熊本城は 市街の中央、茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城で 
名将・加藤清正が7年の歳月をかけて 1607年に築いた豪壮堅固な城郭です。
熊本城の敷地は大阪城に近い位広大であり 日本三名城の一つに数えられています。

1960年(昭和35年)に、築城350年と熊本国体開催に合わせ、熊本市は一般からの寄付も募り
1億8000万円の費用をかけ外観復元で大小天守と平櫓、塀などを再建し、本丸一帯を公園として整備しました。
天守は鉄筋コンクリート造りで、内部は熊本市立熊本博物館の分館として史料等が展示されるようになりました。
2007年(平成19年)築城400年に際しては、本丸御殿をはじめ、
西出丸の塀、戌亥櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、未申櫓、南大手門などの建造物を数年かけて復元し
ほぼ現在見られる形となりました。
なお、未だ復元工事中や、工事未着手の建物も幾つかあります。



城内巡りをする場合、私は毎回違う道から入っています。
今回は 加藤清正像から 行幸橋、そして備前堀(上写真)を見ながら 行幸坂を登り



「南大手門」から奉行丸へ入り「西大手門」そして「二の丸広場」
それから「西大手門」へ戻り 「頬当御門」で入場券購入し 首掛石を通って
本丸「本丸御殿」「大天守小天守」、平左衛門丸「宇土櫓」へ周ってみました。

効率よく城内巡りをする場合は、「櫨方門」から入って本丸御殿、天守閣、
宇土櫓、数奇屋丸、飯田丸五階櫓と回り不開門から出て長塀の下を歩き「櫨方門」へ戻る
と良いと思います。



西出丸からみる熊本城全景も 城全体の大きさを感じとれて好きな景色です。



二の丸と本丸の間の堀は大きいです。ここは空堀で 建設当初から空堀です。
熊本城には水堀は少なく、水掘りは規模が大きいとかえって攻城方が船を使ったり
少人数が決死隊となって、泳いで城壁破壊等を行えるので、
織豊期に建設された城郭では、あまり使われていません。
そういった意味で、やはり熊本城は実戦を意識した城郭遺構と言えましょう。



入城門で熊本城のパンフレットを入手。スタンプを押して廻ります。



中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、
現在のような姿の熊本城が築かれました。
清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが
詰め込んだように建てられ、一大名の城としては日本一とも評されています。



細川氏の居城となった以後も 改築は追って行われ、
明治初期までは 大半の建物が撤去されずに現存していました。

明治中期以降、熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ
西南戦争では 天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失してしまったのです。
残存したのは、宇土櫓(重要文化財)や東竹之丸の櫓群のみとなっています。

石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、明治の地震で石垣の一部に改修された部分があるものの、
ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されています。
昭和初期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、
最近でも、櫓や本丸御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われています。



天守は、連結式望楼型、大天守は3重6階地下1階、「一の天守」とも呼ばれています。
小天守は3重4階地下1階、「二の天守」とも呼ばれ、「御上(おうえ)」という夫人のための建物です。
大天守は、一般に5重の天守として見られていますが、2重目にあたる部分と4重にあたる部分のものは
屋根ではなく廂とするので、正確には3重6階地下1階の天守です。
萩城天守と同じように天守台から少し張り出す「張出造」で、張り出し部分には石落しが設けられていました。



大阪城や名古屋城には内部にエレベーターがありますが
熊本城天守閣は最上階まで階段(157段)のみとなっていますので、車椅子での登閣は困難です。



最上階 展望スペースからの風景。






熊本城の特徴を強いて言えば 実戦を経験した城では唯一落城しなかった城であり
 非常に実戦向きにつくられた城郭と評価出来ます。

西南の役で西郷軍の猛攻に耐えた熊本城。
 (会津若松も善戦しましたが、最後は城をを明渡しました。五稜郭も陥ちました。
  大坂城は慶喜が城を空にして逃げてしまったので、これは落城でしょう)

清正が 朝鮮の籠城での苦い経験を生かしたもので
いざ籠城という時に備え 壁に非常時には食べられる植物を用いて築いていたり
放物線のような反り返った石垣(武者返し)も 朝鮮の蔚山篭城戦で見た朝鮮式の土木技術を駆使し、
関東との戦いに備え 秀頼を迎える特別の間があったり、そこへ通じる抜け道も周到に用意されていました。



西南戦争の時 西郷軍と戦いますが、清正が心血を注いだ城だったので 
当時の近代兵器を用いても 熊本城は難攻不落ぶりを示し
西郷隆盛は「さすがは清正公のお城」と評価したようです。



天守部分は焼失し 復元したもので当時のものではありませんが
 城の美しさという事では姫路の白鷺城と比肩し得ると感じます。



熊本城で見落としてはならないもの、それは石垣の積み方です。
俗に「武者返し」と呼ばれる方法で、上に行けば行くほど
傾斜が高くなって、石垣を登ることが出来ない…と言われ その高さは10m以上。
石垣を垂直に組めば防御力が増すという発想、朝鮮出兵によって得られたもので、
以降の日本の城に共通する石垣築造の王道となりました。



宇土櫓



関が原の戦以降、各地の大名は幕府から一国一城制が命じられ、
支城は廃する必要に迫られましたが 代わりに主居城の新築や修築を競うようになりました。
熊本城の場合には、多くの支城にあった天守を移築して櫓に再利用した結果、
極めて豪壮華麗な建築物群に成長していったようです。
肥沃な平野を有し 阿蘇の伏流水にも恵まれ 石高の高さも幸いし
その結果、一大名の城としては最大規模の城となり 日本三大名城の一つと数えられるまでになったのですね。

居城の新築や修築には 全て江戸幕府の意向に背かずに行う必要があり、
建築予定地から設計図面の提出など繁雑な手続があったようですが、
清正はそれらを上手くクリアして修築しています。



次回の更新では 2007年になって復元された熊本城本丸御殿を紹介します。



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