セメント発祥地・小野田

2008年06月05日 06:00



小野田(現山陽小野田市)は 日本のセメント発祥の地で
1881(明治14)年5月に民営セメント工場 小野田セメントが誕生しました。
平成の現在、セメント会社も合併&再編で「太平洋セメント」となり
「小野田セメント」という名は無くなりましたが 
セメント業界最大手の会社として活躍しています。

創立者の笠井順八は旧萩藩の役人で、職を失い生活に困窮している旧士族に
生業を与える為(士族就産)、セメント製造に着目し、この事業を始めました。
株主は同族の武士38人、当初は会社の職員に士族出身者のみ採用したといいます。
それでも日清戦争後には 日本でもセメントの需要が急増したため
「大衆就産」を標榜し広く人材を求め いち早く海外にまで工場を設置しました。
終戦時には 朝鮮、満州、上海、樺太、南洋など海外18工場もあったとか。
 


小野田がセメント製造の地として選ばれたのは
有帆川河口の粘土、対岸の北九州恒見の石灰石、燃料にする小野田の有帆の石炭
原料も燃料も近くで採掘出来 海に臨んだ利便の地であったからだそうです。
この付近は「須恵村」なる名でしたが、小野田セメントの発展により 
干拓地の名に過ぎなかった「小野田」の方が有名になり、
1920年の町制施行時に小野田町となりました。



このセメント徳利窯は 創業時の1883(明治16)年に操業開始した4基の窯の一つで
記念物として 一つだけ残されており
本来は赤レンガ造りですが 黒っぽく煤けています。 
日本に残る中で唯一最古のセメント焼成窯です。 
この窯の完成以降は、安定した製品が生産出来るようになりました。

焼成部分と煙突部分を含めた高さは約17.8mあります。
徳利窯も 明治30年にはディーチュ窯、大正2年に回転窯が登場すると使命を終え 
大正2年には廃止されてしまい順次解体されていきましたが 
この窯は 小野田セメントの歴史や 
セメント製造草創期の姿を今に伝える貴重な産業遺産だと感じました。

当時は僅か年に100トンのセメントを造り出すのが精一杯でしたが
それでも当時は 売りさばくのに並大抵の苦労があったようです。



「我が国の泥土をもって 外国の金貨を輸入せん」なるスローガンで
気概が太かったセメントの町だけに、小野田にはセメント通りや
セメント町という町名も存在しています。

セメントだけでなく硫酸も小野田が発祥で ドイツ駐在の公使から
ソーダ工業の盛況ぶりを聞いた豊永長吉氏が 笠井氏の尽力もあって
明治22年、塩田地帯の小野田に工場を設け 硫酸や化成ソーダの製造を始めました。
小野田は有帆川河口に望み出荷に便利で、海外から原料を調達するにも
大阪より近く、背後の石灰石も無尽蔵であったからなのです。
硫酸は副成品として薬品も出来るわけで 
田辺製薬も山陽本線の小野田駅近くに工場を設けました。



小野田は、大正初期までは宇部よりも都会で、買物客も集ったといいます。
その後すっかり逆転してしまったのですが 
セメントも硫酸もここを発祥地としながらも 他地域へ中心を移すように発展し
宇部ほどに地元で繁栄しなかった事など 多くの面で好対照をなしています。
それだけに昔は対立感もあったようで、平成の大合併に至る現在も 
山陽小野田と宇部は単独の市として存在しています。

山陽小野田市には新幹線の駅もあることですし
機会があれば立ち寄ってみませんか。


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