米子城

2008年05月01日 05:50



米子城は天正19(1591)年から 毛利の一族 吉川広家は標高90mの湊山を中心に
築城を始め 頂上の四重櫓と縄張りの大体を造りました。
その後に 吉川広家は岩国に移され 慶長5(1600)年に 伯耆17.5万石領主
中村一忠が更に規模を拡大して 翌年完成しました。

城は頂上の五重天守と四重櫓を中心とする本丸に西北の内膳丸、東の飯山を控え
山裾の二の丸を領主の館、その下の三の丸には内堀に囲まれて作事場、米蔵、馬小屋が建てられました。
また裏側には 深浦湾に望む水軍用の曲輪を作り 三の丸を越えた内堀と外堀の間は侍屋敷でした。





城主は中村氏以後は、加藤貞泰、池田由成、そして寛永から明治維新までが鳥取藩首席家老荒尾氏が11台続きましたが その後まもなく 米子の住人が買い取り 取り壊してしまいました。
港山からは米子平野と市街を見渡す事が出来ます。








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