石見銀山

2008年01月07日 20:05



上写真は石見銀山の“龍源寺間歩”です。
間歩とは16世紀から17世紀にかけ 採掘者たちが掘り進んだ坑道で、
地味ながらも歴史の重厚さを肌で感じる事の出来る 素晴らしい世界遺産です。

石見銀山は 戦国時代後期から江戸時代前期まで約400年にわたり採掘された 日本を代表する銀鉱山です。関が原の戦い後、徳川家康は石見を幕府直轄領としました
大森に幕府代官所が立地し、その大森を中心として仁万町の積出港までも
石見銀山と総称されています



石見銀山の開発は1526(大永6)年から始められ
神屋寿禎が導入した灰吹法という銀精錬技術で 産出量が一気に増大しました。
石見銀は銀山が佐摩村(現島根県大田市大森)にあった事で ソーマ銀と呼称され
幕府に献上されただけでなく 海外にも勿論流通し 
アジアや欧州の交易にも多大な影響を及ぼしました。
17世紀前半には 世界の銀産出量の30%を日本銀が占め その大半が石見銀だったと云われます。
多い時で 石見銀の産出量は年間約38トンにも及びました。
(現在 銀は枯渇)

欧州人にも石見銀は広く知られる事となり
ポルトガル人の作った日本地図には 石見の位置に
「R・AS MINAS DA PRATA(ミナス ダ プラタ)」=銀鉱山王国と表記されています。
江戸時代前期には日本の膨大な銀需要を支えましたが、
元禄時代には次第に産出量が減少、江戸末期にはほとんど産出しなくなり 
明治期に細々と再開発の試みが続けられるも1923年には完全に閉山しました。
久しく寂れて 最近までは観光地化していなかった場所だけに 
自然と昔ながらの民家がそのまま残っています。



銀山も暫くは忘れ去られた存在で 国指定史跡となったのも1969(昭和44)年と遅かったのですが 
2007年にユネスコ世界遺産に登録されました。産業遺跡としては日本初の登録です。


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