名古屋城をそこそこ楽しむ方法

2013年05月25日 05:58



名古屋市内で最もメジャーな観光地である名古屋城に 9年ぶりに行ってきました。
この巨大な城郭は 姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、
伊勢音頭にも「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠われ、
金の鯱は、城だけでなく名古屋のシンボルともなるほど 広く知られた存在ですよね。

場所は 名古屋市中区本丸1-1 中心街の北側に位置し
名古屋都心の栄地区から徒歩で30分位ですが 名古屋地下鉄一日乗車券があったので(^^)
最寄り駅まで地下鉄を利用しました。
名城線で 市役所駅で下車すれば 7番出口より徒歩5分と至近です。
(名城公園駅という駅も存在しますが こちらは駅名とは裏腹にやや遠くなります)



名古屋城は、織田信長誕生の城と伝わる那古野城跡に、徳川家康が天下普請によって築城しました。

それまで清須城が長い間尾張の中心でしたが
関ヶ原の戦い後の情勢や、水害に弱かった清須の地勢の問題などから、
徳川家康は1609年(慶長14年)に、尾張徳川藩の居城として、名古屋に城を築くことを決定しました。



そして翌年1610年(慶長15年)、加藤清正などの西日本の外様大名にお手伝い普請(天下普請)を命じて
築城が開始され(旧敵を監視し、徳川家への忠誠心を競わせる狙いもあったらしい)
1612年(慶長17年)までに大天守が完成しました。
この頃、清須からの名古屋城下への移住が行われ、この移住は清須越しと呼ばれました。
家臣、町人はもとより、寺社、清須城小天守も移るという大規模なものだったようです。



以後250年余、徳川御三家の一つでもある尾張徳川家の居城として 明治まで利用されました。

明治維新の時には、藩主の徳川慶勝が新政府側に味方し 自ら名古屋城の取り壊しと金鯱の献上を申し出ます。
しかし、ドイツ公使マックス・フォン・ブラント、大日本帝国陸軍第四局長代理の中村重遠工兵大佐の訴えで
1879年(明治12年)12月、山縣有朋が名古屋城と姫路城の城郭の保存を決定し
名古屋城は破壊の危機を免れる事が出来 天守は本丸御殿と共に保存される事になりました。

その後は、陸軍施設や名古屋離宮として使われましたが、名古屋離宮は1930年(昭和5年)に廃止されることになり、
宮内省から名古屋市に譲られました。
名古屋市は名古屋城を市民に一般公開し、それ以降は名古屋を代表する観光名所となります
その間に、1891年(明治24年)に濃尾大地震や、
1937年(昭和12年)1月7日、天守閣の金鯱の鱗が盗難に遭うなどの災いに遭いましたが
建物や障壁画は国宝にも指定されました。

太平洋戦争末期には 金鯱を空襲から守る為 地上へ下ろして隔離していましたが、
1945年(昭和20年)5月14日の名古屋空襲では 
本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼失してしまいました。

戦後、三之丸を除く城跡は、北東にあった低湿地跡と併せて「名城公園」として整備され、
園内には、戦災を免れた3棟の櫓と3棟の門、二之丸庭園の一部が保存されました。



一部の堀は埋め立てられるなど改変も受けましたが、土塁・堀・門の桝形などはよく残されています。
天守は、地元商業界の尽力や全国からの寄付で 1959年10月(昭和34年)に再建されました。



天守の建築は現代的な解釈がなされているコンクリート造りです。



城内にはエレベーターも存在する 一種の博物館的な天守閣と言われますが(大阪城も同様)
復元された金鯱とともに名古屋のシンボルとなっています。



2007年(平成19年)に、文化庁より本丸御殿の復元工事が許可され、
2008年(平成20年)から復元工事が始まっています。
さらに名古屋市は2013年度から、名古屋城の天守閣を現在の鉄筋コンクリート製から本来の木造に建て直す
復元事業に着手すると発表しています。



構造は典型的な梯郭式平城で、本丸を中心として南東を二之丸、南西を西之丸、
北西を御深井丸が取り囲み。さらに南から東にかけて三之丸が囲んでいます。



名古屋城・二之丸

本丸はほぼ正方形をしており、北西隅に天守、
その他の3つの隅部に隅櫓が設けられています。



隅櫓はすべて2層3階建てで 外観意匠もそれぞれ相違させてあります。



本丸御殿の復元が2009年(平成21年)1月から始まっています。



名古屋城天守閣は本丸の北西隅に位置しています。
連結式層塔型で5層5階、地下1階、その高さは55.6メートルになります。



“名古屋城=緑の屋根”というイメージを我々に与えてくれますが、
軽量で耐久性のある銅瓦が 2層目以上のすべてに葺かれています。

銅は高価な金属という事もあり 一般の建物では使用頻度は少ないのですが
瓦より軽く柔らかい利点があるので 城などの複雑な曲面から成る大屋根でも施工し易く、
また表面が酸化して青銅色になれば、それが保護膜となり半永久的な耐久性を持ちます。
(紀元前の青銅器などが 朽ちずに沢山出土している事か分かるように)
伝統建築としての威厳と雰囲気を損ねず、古来から神社仏閣などに多用されてきたようです
張替え直後はピカピカの銅色ですが やがて黒ずんで腐食して緑青に覆われ緑色になる訳です。
金鯱との 色の対比の美しさも考慮されているように思います。



大天守の屋根の上には徳川家の威光を表すためのものとして、
金の板を貼り付けた金の鯱が載せられました。
初代の鯱は慶長17年(1612)の生まれで 慶長大判にして1940枚の金が使われた伝えられ
今の感覚なら10億円とも20億円とも.....。



鯱を屋根上に飾った理由ですが 
落雷で火災が発生しても、当時は消火の手立てが無かったために
 “水を司る神”とされていた鯱を建物の上に載せた というのが真相のようです。

それが、いつの頃からか権威の象徴として城主が意識するようになってきて
金鯱は、実は他の城にも存在し、安土城、大坂城、伏見城、江戸城にも金の鯱がありました。
安土城、大坂城、伏見城は落城、江戸城天守閣も落雷で炎上後は再建していません。
従って名古屋城だけに金の鯱が残ったという訳なのです。



天守閣最上階の展望スペースから望む 名古屋市街(中心街方面)



天守閣最上階の展望スペースから望む 名古屋市街(名古屋駅方面)
近年は名古屋駅前を中心に 高層建築が増えてきました。



お土産コーナーの商品 やはり金鯱が象徴的!
(土産屋は天守閣最上階と天守閣下にもあります)



本丸御殿3Dシアター
上映時間は7分で 誕生から炎上、再建にいたる名古屋城400年の歴史。



名古屋城の防御力は天下無比だったと思われます。
規模は江戸城ほどではありませんが、大きければ守りが堅いという訳でもありません。
家康好みだった方形の縄張りは 形状的に攻められ易く感じますが、実はそうではないのです。
複雑な縄張りは相手の侵攻が把握しづらいい欠点もあります。もし、三の丸を破っても南門前に堅固な馬出があります。
この馬出は入口が狭く中に入ると本丸側多聞櫓から狙い撃ちされることになります。逃げ場もありません。
また本丸には他城の天守に匹敵する3基の隅櫓が存在します。
隅櫓の数は全部で11基なので他城を圧倒する規模ではありませんが
隅櫓を繋ぐ多聞櫓が巨大(梁間=奥行3間)で
普通の点々とした櫓をびっしり並べた事に相当する訳です。
(総延長630間の多聞櫓は間口5間×奥行3間の平櫓に換算すると126基分に相当)



名古屋城観光に所要する時間ですが 城内がメインの場合は1.5~2時間もあれば大体 満足出来ると思います。
他に庭園など周辺も散策するとなれば、半日(2.5~4時間)欲しい所です。
観光ツアーに参加すると 正門から入場してから、自由時間は2時間と設定している所が多いようです。
名古屋城には再入場はできませんからご注意下さい。


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