長崎の軍艦島

2012年06月23日 05:58



長崎の軍艦島を紹介します。

軍艦島は 長崎市中心部から南西20kmの海上に浮かぶ「端島」の通称で
かつては良質な強粘炭が採れる海底炭鉱によって賑わった島です。


当初この島は、草木のない水成岩の瀬で 面積も現在の3分の1ほどの面積しかありませんでした。
1890年(明治23年)から 三菱の経営による 製鉄用原料炭を供給する海底炭坑が開鉱され
炭坑開発と採掘技術の発達によって、島の周辺は
1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事で
護岸堤防の拡張を繰り返し、今日の島の形状となりました。

最盛期には5,000人を超える人口を有し 高層鉄筋アパートがこの狭い島内に林立して、
まるで海の要塞を思わせる軍艦に似ている事から「軍艦島」として知られるようになりました。



1974年に炭坑の閉山により島民が島を離れたため、無人島となり廃墟化していましたが
近年 産業遺産として注目されるようになり 2009年からは軍艦島上陸が解禁されて
長崎市からの軍艦島上陸日帰りツアーに参加すれば 島に上陸する事が出来ます。



島の大きさは 南北約480m、東西約160mと南北に細長く、面積は約6.3ha。
島全体が人工の護岸堤防で覆われ 海岸線も当然ながら直線的です。

島の東側と南側には 炭鉱関連の施設
島の西側と北側には 住宅などの生活に関する施設があります



島の真ん中は 南北に走る岩山状の地形となっており 標高が高くなっています
(中央の山以外は埋め立てられた半人工島です)



日本初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」は大正5年に建設されました。
炭坑開発と並行して 従業員住宅の建設も盛んに行われ、
1916年(大正5年)以降 高層鉄筋アパートが、次々に建設されました。



最盛期の石炭出炭量は 太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)で約41万トンを出炭。
最盛期の人口は 1960年(昭和35年)5,267人の人口を擁し、
その人口密度は83,600 人/km2と 東京の9倍で世界一を誇っていたのです。



炭鉱施設・住宅のほか、小中学校、店舗、病院、寺、映画館、理髪店、美容院、
パチンコ屋、雀荘・社交場(スナック)などがあり、
島内においてほぼ完結した「街」機能をなしていたのです。
こうした環境の中に住んでいたら 当時の長崎や福岡の街でも田舎に見えたかもしれませんね。

日本の近代化と戦後の復興を支えてきた炭鉱の一つでしたが、
昭和30年代後半から、石炭→石油へのエネルギー改革の嵐を受け
合理化が進み、1974年(昭和49年)1月15日に炭坑は閉山、
同年4月20日には無人島となってしまいました。



無人島になって 建物の老朽化と廃墟化、崩壊の進行で
危険な箇所も多い事から、島内への立入りはしばらく禁止されていました。
軍艦島上陸が解禁されるようになり
外壁の崩壊箇所については、一部コンクリートで修復も行われているようです。
2009年(平成21年)4月22日から 島の南部に整備された見学通路に限って、
観光客が上陸・見学出来ます。

上陸のためには “風波などの安全基準を満たしている事が条件”という制約があり
年間に100日程度しか上陸できないようですが
旅行会社や海運会社が上陸ツアーを行っています。

やまさ海運株式会社 軍艦島クルーズ
http://www.gunkan-jima.net/ 長崎港ターミナル(大波止ターミナル)発



近代日本の発展を支えた産業遺産群は、無言の歴史証人だと思います。
その廃墟風景も印象的で、日本の発展を支えた歴史を訴えかけてきます。



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